曖昧な記憶を遡る限り三月前。部屋の電灯が機能しなくなったのは、昨年の十月の頃であった。ある日唐突に、何の前触れも前置きもない突然に、いつものように何気なくスイッチを入れた途端にバジジと一つコンビニの電灯に群がった羽虫が爆ぜるような音を残したっきりうんともすんとも言わなくなった。原因は今以て不明のままだ。
当事は相当に悩み、これから先を如何にしてやっていくものかと苦悩したものだが、今となってはスタンドライトの頼り無い光にすっかり生活が馴染んでしまっている。慣れればそう悪いものではないと思いつつも、薄明りの中キィを打っていると物書きの常かどうしても視力の低下を懸念してしまう。失われて戻ってこないこと、取り返しのつかない喪失感を嫌う私ではあるが、その時は眼鏡の度をもう少し強くすればよいかなどと夜更かしに妥協してしまう事に我ながら情けなさを覚えている。
平成十七年も二月に入った。春を間近に迎えながらも寒さは増す一方なので、目覚めてから蒲団を這い出るまでの時間がそれに比例して長くなる。零度を下回る寒気は窓硝子にカーテンを凍り付かせて張り付かせ、部屋の窓から朝焼けを眺める事も叶わない。一度無理をしてしまいカーテンを破いてしまった経験も後押ししてか、最近では日光により自然と窓硝子が解凍される昼頃まで、開くのは待つことにしている。朝焼けにはもう暫く会えそうもない。
私の家は田舎の山麓に建っているのだが、去年頓に多く激しかった台風の連続通過により裏山の木々は多くが倒され、或いは折れ、それにより危険となり切り倒されるはで、生まれてこの方慣れ親しんできた風景はすっかりと変わってしまった。新鮮味を感じる一方、前述の通り私は失われて戻ってこないことを嫌う性質である。木が大樹となるまでの年月は、人の一生を幾つも重ねてようやっと足りるほどに長い。幼い私が見ていたあの景色を、もうこの目が映すことはないのだと知り、気分が沈んだ。ニュースやら新聞やらで見るよりもこのことが切っ掛けで、私は時間とはどうしようもなく過ぎていくことを改めて実感する。
さて、感情論の次に現実問題。木々の消失は、私の生活に波紋を残す。それは、今までそれらが遮ってきた分の風が、遮っていた要因が無くなった以上隔てられることがなく、私の家にもろに当たってしまうというものだ。
その所為で今年の冬は例年に比べてひどく冷え込んだ。用意した対策は三つ。炬燵とエアコンと古いファンヒータ。炬燵の方は部屋に帰ればすぐさまに電源を入れ、荷物の片付けなどをした後に実際に入る時にはもう十分に暖まっていて、がちがちにかじかんだ手がすうっと温もりを取り戻していく行程にはえもいわれぬ快感があり、正しく面目躍如の大活躍を果たしているのだが、エアコンの方は余り使わない。その理由は滑稽な事だと思うかもしれないが、天道虫が入ってくるからだ。黒の皮に、赤の星。種類も名前も分からぬが、とにかくその形状は天道虫に違いない。気が付けば壁やら蒲団の上やらにいつのまにかいるのだ。一度タイピングしているキィをふと見たところ、Fと数字の間の隙間を歩いていたこともあった。いつもいつも窓から外へ逃がしてやるのだが、何度やっても何度でも入ってくる。エアコンの生温い排気ガスの先に、もう春が来ているとでも夢想したのやもしれない。憶えてはいないが、もうニ・三年は天道虫の乱入は続いている。こうも根気よくこられたのでは、こちらが折れるしかなかった。即ち、エアコンの使用停止と相成る訳だ。
こうして限定的ではなく部屋全体の気温を上げる方法を失い、キィを打つ手が凍えてしまって難儀していた私は、一昨年の年末ぐらいだったろうか、新たな手段としてファンヒータを部屋に持ってきた。子供の頃良くしてくれていた曾祖母が使っていたものだ。古いとはいえまだまだ正常に機能している。三つ上の兄が家にいたころに使っていたものを、今度は私が使わせてもらっている。末子というものはこうした面で少しだけ辛い。
その曾祖母譲りのファンヒータは、オーブントースターの熱を発する部分を横ではなく縦にくっ付けた様な図体で、その隣には電力の程を調整する為のダイアルと、ダイアルの上にはスチーム噴出口を兼ねた注水口が備わっている。そう、このファンヒータ、中に水を入れられそれを蒸気に変換し湿度を保つ役割も同時に果たす事が出来る代物なのだ。私の持病である喘息がここのところなりを潜めているのもこのおかげなのかもしれない。
ただ良いこと尽くめのようなこのファンヒータにも欠点があり、機能維持に水の補給を必要とされるペースが存外に早い。私の背と同じぐらいの本棚の上には、常に水で満たしたペットボトルが置いてある。ついでに言うと、本当はいけないことと記されているのだが電源を入れながらの給水を私は好む。枯れ乾ききった注水口に水を注ぐ時に聞こえる、冷たい水が熱されて蒸発する『じゅう』という焼け付くような音が好きなのだ。だから私は今日も手間の掛かる恋人の元に足繁く通うように、水の切れやすいファンヒータの注水口を開けに行く。その度に興に乗っていた執筆作業が中断され、好調の波を逃がしてしまうのが玉に瑕だ。
以上が二千五年二月初旬の殻半ひよこの執筆環境。不自由のように見えて、中々満たされた状況ではあると自認している。